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真田昌幸家臣団辞典

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青木半左衛門【あおきはんざえもん(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田信之に仕えた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

青山弥七郎【あおやまよしちろう(1558~1615)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田信之に仕えた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

青山弥十郎【あおやまよじゅうろう(1578~1615)】

青山弥七郎の男。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田信之に仕えた。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平秀忠勢と戦い戦功を挙げた。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

相木荒次郎【あいきあらじろう(15??~15??)】

真田幸隆家臣。鉄砲の名手。1569年、「第二次小田原城の戦い」で真田幸隆に従い北条氏邦の家臣御湯見薩摩守勢と戦い御湯見薩摩守を討取る戦功を挙げた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

赤井もよ【あかいもよ(15??~16??)】

向井佐平次の室。赤井喜六の娘。両親が病没したため、叔父の横沢与七に養育された。向井佐平次に嫁いだ。向井佐助と向井はるをもうけた。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁のもとに赴く向井佐平次を送り出した。1615年、「大坂冬の陣」で向井佐平次が真田信繁に従い松平元康勢と戦い討死したため、真田信之の内室(小松殿)に仕えた。参考文献:『真田太平記』by池波正太郎。

赤坂式部【あかさきかしきぶ(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

赤沢常陸介【あかざあわひたちのすけ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。馬廻衆。1580年、「上野沼田城の戦い」で白倉武兵衛、矢野半左衛門尉、佐藤備後守とともに真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

赤坂式部【あかさかしきぶ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。
 
明石月部【あかしつきべ(1541~1611)】

真田昌幸家臣。別名月部入道。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

明石又七郎【あかしまたしちろう(1571~1615)】

明石月部の男。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。真田昌幸が病没したため、信濃国で帰農した。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。1615年、「大坂夏の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い討死した。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。
 
浅香郷右衛門【あさかごうざえもん(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

畔柳九蔵【あぜやなぎくぞう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1582年、「武田家討伐」で武田勝頼が織田信長勢と戦い滅亡したため、真田昌幸が武田勝頼の次男武田勝親とともに信濃砥石城に籠城した。「信濃砥石城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏照勢の荷駄衆と戦い補給線を脅かした。真田昌幸は武田勝親の助命を条件に織田信長に降伏した。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

畔柳九八郎【あぜやなぎくはちろう(15??~15??)】

畔柳九蔵の男。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

畔柳兵助【あぜやなぎへいすけ(15??~15??)】

畔柳九蔵の次男。1583年、「賤ヶ岳の戦い」で真田昌幸の意向を受け羽柴秀吉に従い柴田勝家勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

足達善一郎【あだちぜんじろう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

穴山源覚【あなやまげんかく(15??~15??)】

真田幸隆家臣。1529年、加賀美四郎の家臣相木森之助を捕縛する功を上げた。1561年、「苅屋原館の戦い」で真田幸隆に従い長尾景虎勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

穴山信光【あなやまのぶみつ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。通称玄蕃。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。
 
穴山安治【あなやまやすはる(15??~16??)】

穴山信光の男。通称小助。別名「雲洞軒」。真田十勇士。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。1615年、「大坂夏の陣」で真田信繁の影武者を務め、松平元康勢と戦い討死した。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。
 
穴山新兵衛【あなやましんべい(15??~16??)】

穴山安治の男。1582年、「信濃砥石城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏照勢の荷駄衆と戦い補給線を脅かした。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

姉山甚八【あねやまじんぱち(1553~1615)】

真田昌幸家臣。忍衆(草者)。於江、奥村弥五兵衛とともに甲賀忍びの里に潜入したが、山中忍衆の牛原の茂兵衛と戦い戦傷を負った。奥村弥五兵衛と連携し山中忍衆の追撃を振切った。1600年、「関ヶ原の役」で奥村弥五兵衛に従い松平元康を奇襲したが、松平元康を討取ることが出来なかった。1615年、「大坂夏の陣」で真田信繁とともに松平元康の本陣に突撃して討死した。参考文献:『真田太平記』by池波正太郎。

天野小八郎【あまのこはちろう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

天方喜三郎【あまかたきちざぶろう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

荒川 内匠【あらかわたくみ(1549~1593)】

真田昌幸家臣。1582年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い松田秀憲の謀反を噂を流し北条氏邦勢を混乱に陥れる功を上げた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

荒川勝蔵【あらかわかつぞう(1569~1615)】

荒川内匠の男。1582年、「信濃砥石城の戦い」で畔柳九蔵とともに真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏照の荷駄衆を襲撃して補給線を寸断する戦功を挙げた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

荒木肥後守【あらきひごのかみ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。
 
荒牧宮内少輔【あらまきみやうちしょうゆ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。通称左衛門。足軽組頭。1575年、「三河長篠の戦い」で真田信綱に従い織田信長、松平元康勢と戦い敗退した。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

蟻川入道【ありかわにゅうどう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。小県郡西中館主。1582年、「信濃砥石城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏照勢と戦い戦功を挙げた。1590年、「小田原城の戦い」で真田昌幸の意向を受け岩櫃城留守居役を務めた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。
          
飯島市之丞【いいじまいちのじょう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。別名「宗心」。代官職を務めた。1600年、池田綱重、原出羽守、高梨内記、小山田治左衛門、田口久左衛門、窪田作之丞、関口角左衛門、関口忠右衛門、河野清右衛門、青木半左衛門、飯島市之丞、石井舎人、前島作左衛門、三井仁左衛門、大瀬儀八、青柳清庵とともに真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

鵤幸甚九郎【いかるがじんくろう(1539~1589)】

矢沢頼康家臣。別名斑鳩甚九郎。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

鵤幸祐貞【いかるがすけさだ(1559~1615)】

鵤幸甚九郎の男。通称右衛門。別名鳩幸右衛門。乗馬の達人。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。 

池田綱重【いけだつなしげ(15??~1622)】

真田昌幸家臣。官途は長門守。1585年、「第一次上田城の戦い」で鉄炮衆を率い真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い戦功を挙げた。山城伏見屋敷の留守居役を務めた。1600年、「関ヶ原の役」で真田昌幸が松平元康勢と戦い敗退したため、伏見屋敷から上田城に落延びた。真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。1611年、真田昌幸が病没したため、真田信之に仕えた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

池田清兵衛【いけだせいべい(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

石井舎人【いしいとねり(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。1611年、真田昌幸が病没したため、池田綱重とともに真田信之に仕えた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

石黒又八【いしぐろまたはち(1551~1615)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸の意向を受け沼田城留守居役を務めた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。
           
石野大膳【いしのだいぜん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

伊勢崎五郎兵衛【いせざきごろうざえもん(15??~15??)】

真田幸隆家臣。加賀美四郎の家臣相木森之助を捕縛する功を上げた。1561年、「苅屋原館の戦い」で真田幸隆に従い長尾景虎勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

板垣信形【いたがきのぶかた(15??~15??)】

真田昌幸家臣。通称修理亮。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

市場茂右衛門【いちばしげうえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

伊藤継基【いとうつぐもと(1565~1615)】

真田信繁家臣。通称団右衛門。剣と乗馬の達人。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。1615年、「大坂夏の陣」で真田信繁の影武者を務め、松平元康勢と戦い討死した。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

伊藤半之丞【いとうはんのじょう(15??~15??)】

矢沢頼綱家臣。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

伊藤藤二郎【いとうとうじろう(15??~15??)】

矢沢頼綱家臣。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

猪口半兵衛【いのくちはんべい(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

岩野左京【いわのさきょう(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

岩野宇兵衛【いわのうべい(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

植島東馬【うえしまとうま(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

植田久右衛門【うえだきゅうざえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

植田又左衛門【うえだまたざえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

上原浅右衛門【うえはらあさえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。官途は兵庫。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

上原勘衛門尉【うえはらかんざえもんのじょう(15??~15??)】

矢沢頼綱家臣。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

上原藤介【うえはらとうすけ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。通称藤助。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

智荘院応政【うそういんおうせい(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1590年、真田昌幸に従い上洛した。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

馬淵六郎太夫【うまぶちろくろうだいふ(15??~16??)】

真田信繁家臣。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

海瀬文之丞【うみせふみのじょう(15??~15??)】

矢沢頼綱家臣。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

梅沢孫右衛門【うめざわまごえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

浦野五郎三郎【うらのごろうさぶろう(15??~15??)】

真田幸隆家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

浦野七左衛門尉【うらのしちざえもんのじょう(15??~15??)】

小県郡根小屋館主。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。1582年、「大戸館の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直勢と戦い戦功を挙げた。1590年、「小田原城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。
 
海野利一【うんのとしかず(15??~16??)】

真田幸隆家臣。羽尾輝幸の三男。通称六郎兵衛。山本晴幸を村上義清の忍衆と思い捕縛した。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

海野小平太【うんのこへいた(15??~16??)】

真田信繁家臣。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

江坂茂助【えさかもすけ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

江原左平太【えばらさへいた(15??~1615)】

真田昌幸家臣。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。1615年、「大坂夏の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い討死した。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

笈川八内【おいかわはちぞう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

大熊五郎左衛門【おおくまぎろうざえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

大熊勘右衛門【おおくまかんうえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

大瀬義人【おおせよしひと(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

太田源蔵【おおたげんぞう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

大塚清兵衛【おおつかせいべい(1507~16??)】

真田信繁家臣。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

大淵勘介【おおふちかんすけ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。通称勘助。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

岡野谷加賀守【おかやかがのかみ(15??~15??)】

矢沢頼綱家臣。沼田七人衆。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

岡本右京【おかもとうきょう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。通称勘助。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

奥出羽守【おくでわのかみ(15??~15??)】

真田信繁家臣。1587年、真田信繁に従い人質として大坂城に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

小熊左兵衛尉【おぐまさへえもんのじょう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

奥村光親【おくむらもみつちか(1552~1610)】

真田昌幸家臣。通称弥五兵衛。忍衆。於江、姉山甚八とともに甲賀に潜入したが、山中忍衆と戦いづつ脱出することに成功した。佐和山城下の長曾根村に、峰蔵の従兄の百姓として入り込み忍宿を守った。1600年、「関ヶ原の戦い」で姉山甚八とともに松平元康を討取ったが、それは松平元康の影武者であった。於江とともに真田家忍衆をまとめあげた。1610年、松平元康を謀殺を企て山中忍衆の迫小四郎の追撃を受け討死した。参考文献:『真田太平記』by池波正太郎。

奥弥兵衛【おくよざえもん(15??~15??)】

真田信繁家臣。1587年、真田信繁に従い人質として大坂城に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。
      
小野大膳【おのだいぜん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

小山田平三【おやまだへいぞう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1590年、真田昌幸から村松郷(300貫)の所領を安堵された。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

小山田治左衛門【おやまだじざえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。真田昌幸が改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

恩田伊賀守【おんだいがのかみ(15??~15??)】

矢沢頼綱家臣。沼田七人衆。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

恩田能定【おんだよしさだ(15??~1615)】

矢沢頼綱家臣。利根郡森下館主。官途は越前守。沼田七人衆。1581年、「長井坂館の戦い」で北条氏邦勢と戦い沼田城に落延びた。1585年、「上野沼田城の戦い」で金子綱重とともに矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。1615年、「大坂冬の陣」で真田信之に従い羽柴秀頼勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

恩田左京【おんださきょう(15??~1615)】

恩田能定の男。1615年、「大坂冬の陣」で真田信之に従い羽柴秀頼勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

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【か】

角輪佐吉【かくりんさきち(15??~16??)】

真田信繁家臣。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

筧虎秀【かけいとらひで(15??~15??)】

真田幸隆家臣。通称十兵衛。包囲を潜り抜け城門を丸太で突き破る戦功を挙げた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

筧十蔵【かけいじゅうぞう(1573~1615)】

筧虎秀の男。通称政右衛門。別名掛飛十蔵。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

柏田玄仲【かしわだげんちゅう(15??~16??)】

真田信繁家臣。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

片岡助兵衛【かたおかすけへいべい(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1583年、真田昌幸から諏訪(35貫)の所領を安堵された。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

金井高勝【かねいたかかつ(15??~1606)】

真田幸隆の五男。通称宮内介。別名真田信春。信濃小県郡御嶽館を領した。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

金井隆清【かねいたかきよ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。官途は豊前守。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

金井清実【かねいきよざね(15??~15??)】

真田昌幸家臣。通称金右衛門。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

加茂大膳【かもだいぜん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い長尾景勝勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

狩野志摩守【かりのしまのかみ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1588年、真田昌幸の意向を受け吾妻衆(富沢豊後守、狩野右馬之助、折田軍兵衛)とともに八幡山城の番役と普請役を務めた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

狩野右馬之助【かりのうまのすけ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1588年、真田昌幸の意向を受け吾妻衆(富沢豊後守、狩野志摩守、折田軍兵衛)とともに八幡山城の番役と普請役を務めた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

川合杢十郎【かわいもくじゅうろう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

河原隆正【かわはらたかまさ(1509~1578)】
 
真田幸隆家臣。河原隆久の男。官途は丹波守。1541年、「海野平の戦い」で海野棟綱が武田信虎、村上義清、諏訪頼重勢と戦い敗退したため、山内上杉憲政のもとに落延びた。武田晴信の家臣真田幸隆に仕えた。妹(恭雲院)が真田幸隆に嫁ぎ、真田信綱、真田昌輝、真田昌幸、真田信尹をもうけた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

河原正良【かわはらまさよし(15??~1575)】

河原隆正の男。通称宮内助。1575年、「三河長篠の戦い」で真田信綱に従い織田信長勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

河原正忠【かわはらまさただ(15??~1575)】

河原隆正の次男。通称新十郎。1575年、「三河長篠の戦い」で兄の河原正良とともに真田信綱に従い織田信長勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

河原綱家【かわはらつないえ(15??~1634)】

河原隆正の四男。官途は右京亮。通称又次郎。1575年、「三河長篠の戦い」で兄の河原正良、次兄の河原正忠が真田信綱に従い織田信長勢と戦い討死したため、河原家の家督を相続した。1600年、「関ヶ原の役」で石田三成に人質として大坂城にいた真田昌幸の内室(山手殿)を救出する功を上げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

木内甚五左衛門【きうちじんござえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

木曾甚右衛門【きそじんうえもん(15??~15??)】

矢沢頼綱家臣。沼田七人衆。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

北沢勘解由【きたざわかげゆ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。佐久郡北澤館主。1584年、真田昌幸から寄騎衆(吉原五兵衛分30貫、上田七兵衛分15貫、鍋蓋右近分5貫)の所領安堵を受けた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

北沢清兵衛【きたざわせいべい(15??~15??)】

真田昌幸家臣。真田昌幸から海野の所領を安堵された。1594年、戸隠代官職を務めた。戸隠神社の建立した。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

気多甚六郎【きたじんろくろう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

木村綱茂【きむらつなしげ(1554~1631)】

真田幸隆家臣。官途は土佐守。通称戸右衛門。1575年、「三河長篠の戦い」で真田信綱が織田信長勢と戦い討死したため、真田昌幸に仕えた。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。真田信之に仕えた。1585年、「第一次上田城の戦い」で禰津長右衛門とともに真田信之に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。1614年、江戸家老職を務めた。松平秀忠の意向を受けた土井利勝から真田信之と真田信繁の会見について詰問を受けた。参考文献:『真田太平記』by池波正太郎。

窪田善三郎【くぼたぜんざぶろう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、真田昌幸から長瀬(30貫)の所領を安堵された。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

窪田角右衛門【くぼたかくえもん(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。1611年、真田昌幸が病没したため、真田信之に仕えた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

鞍掛八郎【くらかけはちろう(15??~1600)】

壺谷又五郎家臣。忍衆。1600年、「関ヶ原の戦い」で壺谷又五郎に従い松平元康の本陣を襲撃して討死した。参考文献:『真田太平記』by池波正太郎。

小泉源五郎【こいずみげんごろう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

高月備中守【こうづきびっちゅうのかみ(15??~16??)】

真田昌幸家臣。家老職を務めた。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣松平秀忠勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。  

河野清右衛門【こうのせいえもん(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

後藤惣平【ごとうそうへい(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。 

五瀬の太郎次【ごぜのたろうじ(15??~15??)】

馬杉市蔵家臣。忍衆。忍宿を守りや取次役を務めた。旅僧、商人、絵師など変装が巧みで10種類以上の声を使い分けた。尾行を得意とし、体つきから雰囲気からまったく違う人物に成りすました。馬杉市蔵が甲賀の引き上げ命令に背いて武田晴信のもとに残留した。参考文献:『真田太平記』by池波正太郎。

権左【ごんざ(15??~15??)】

壷谷又五郎家臣。忍衆。壷谷又五郎の意向を受け京の都から二里ほど離れた下久我の百姓として住みつき、下久我の忍び宿を守った。上方の情報を壷谷又五郎に取次ぐ役目を果した。参考文献:『真田太平記』by池波正太郎。

小助【こすけ(1549~15??)】

壷谷又五郎家臣。忍衆。地蔵峠の忍び小屋を守った。参考文献:『真田太平記』by池波正太郎。

小竹万蔵【こたけまんぞう(15??~1600)】

壷谷又五郎家臣。忍衆。1600年、「関ヶ原の役」で壷谷又五郎から真田昌幸のもとに遣わされ、大谷吉継が石田三成に属したことを伝えた。真田昌幸とともに下野犬伏から信濃上田城に戻った。「関ヶ原の戦い」で奥村弥五兵衛に従い松平元康の本陣を奇襲して討死した。参考文献:『真田太平記』by池波正太郎。

小屋右衛門【こやうえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

近藤無手之助【こんどうむてのすけ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

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【さ】

坂本与三左衛門【さかもとよさんざえもんのじょう(15??~15??)】

矢沢頼綱家臣。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

佐藤豊後守【さとうぶんごのかみ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。馬廻衆。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

佐藤備後守【さとうびんごのかみ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。馬廻衆。1580年、「上野沼田城の戦い」で矢野半左衛門尉、赤沢常陸助、佐藤豊後守、佐藤備後守、三橋甚太郎ととも真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。
            
佐藤備中守【さとうびっちゅうのかみ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

佐藤軍兵衛【さとうぐんべい(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1590年、「小田原城の戦い」で真田昌幸に従って北条氏直勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

真田頼昌【さなだよりまさ(14??~1523)】

海野棟綱家臣。小県郡真田館主。官途は右馬介。室は海野棟綱の娘。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

真田綱吉【さなだつなよし(1510~1571)】

真田頼昌の男。官途は右馬允。通称十郎左衛門。別名海野左馬允。室は深井棟広の娘(深井殿)。1541年、「海野平の戦い」で海野棟綱が村上義清、諏訪頼重、武田信虎勢と戦い敗退したため、長野業正のもとに落延びた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

真田幸隆【さなだゆきたか(1513~1574)】

真田頼昌の次男。官途は弾正忠。別名真田幸綱。室は河原隆正の妹(恭雲院)。1541年、「海野平の戦い」で海野棟綱が村上義清、諏訪頼重、武田信虎勢と戦い敗退したため、父の真田綱吉とともに長野業正のもとに落延びた。1543年、長野業正のもとを退去して武田晴信に仕えた。1548年、「第一次上田原の戦い」で武田晴信に従い村上義清勢と戦い敗退した。1550年、「第一次戸石城の戦い」で武田晴信に従い村上義清勢と戦い敗退した。1551年、武田晴信の意向を受け戸石城を調略した。1561年、「第四次川中島戦い」で武田晴信に従い長尾景虎勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

真田信綱【さなだのぶつな(1537~1575)】

真田幸隆の男。通称源太左衛門。室は高梨政頼の娘(於北)。武田家二十四将。勇将。1561年、「第四次川中島の戦い」で土屋昌次とともに武田晴信に従い長尾景虎勢と戦い戦功を挙げた。1573年、「三方ヶ原の戦い」で武田晴信に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。1574年、父の真田幸隆が病没したため、真田家の家督を相続した。1575年、「三河長篠の戦い」で武田勝頼に従い織田信長、松平元康勢と戦い討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

真田昌輝【さなだまさてる(1543~1575)】

真田幸隆の次男。官途は兵部少輔。通称徳次郎。室は相木昌朝の娘。上野国沼田城を守備した。1568年、「薩埵峠の戦い」で武田晴信に従い今川氏真の家臣庵原忠胤勢と戦い戦功を挙げた。1569年、「三増峠の戦い」で兄の真田信綱とともに武田勝頼に従い北条氏照、北条氏邦、北条綱成勢と戦い戦功を挙げた。1575年、「三河長篠の戦い」で織田信長の家臣佐久間信盛勢と戦い討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

真田昌幸【さなだまさゆき(1547~1611)】

真田幸隆の三男。官途は安房守。別名武藤喜兵衛。室は菊亭晴季の娘(山手殿)。1561年、「第四次川中島の戦い」で武田晴信に従い長尾景虎勢と戦い戦功を挙げた。1575年、「三河長篠の戦い」で兄の真田信綱、真田昌輝が織田信長勢と戦い討死したため、真田家の家督を相続した。1580年、「上野沼田城の戦い」で北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。1582年、「武田家討伐」で武田勝頼が織田信長勢と戦い滅亡したため、滝川一益に仕えた。「神流川の戦い」で滝川一益が北条氏直勢と戦い敗退したため、北条氏直に仕えた。松平元康に内応した。次男の真田信繁を人質に長尾景勝に内応して松平元康、北条氏直に対抗した。1585年、「第一次上田城の戦い」で松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。1590年、「小田原城の戦い」で前田利家、長尾景勝とともに羽柴秀吉に従い北条氏直勢と戦い戦功を挙げた。1600年、「第二次上田城の戦い」で松平秀忠勢と戦い撃退する戦功を挙げた。石田三成が敗退したため、高野九度山に流罪とされた。2016年、NHK大河ドラマ「真田丸」では草刈正雄が演じた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

真田信之【さなだのぶゆき(1566~1658)】

真田昌幸の男。官途は伊豆守。通称源三郎。室は本多忠勝の娘(於稲)。矢沢頼康とともに岩櫃城を守備した。1583年、「中棚砦の戦い」で長尾景勝の支援を受けた羽尾源六郎勢を撃退する戦功を挙げた。1585年、「第一次上田城の戦い」で父の真田昌幸とともに松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。本多忠勝の娘(松平元康の養女)を内室に迎えた。1590年、「小田原の戦い」で真田昌幸とともに羽柴秀吉に従い北条氏直勢と戦い戦功を挙げた。1600年、「第二次上田城の戦い」で松平秀忠に従い真田昌幸勢と戦い敗退した。信濃上田城(95,000石)を領した。1614年、「大坂冬の陣」で松平元康の意向を受けて真田信繁の投降を促した。2016年、NHK大河ドラマ『真田丸』では大泉洋が演じた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

真田信繁【さなだのぶしげ(1567~1615)】

真田昌幸の次男。官途は左衛門佐。通称源次郎。別名真田幸村。室は大谷吉継の娘。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸の意向を受け人質として長尾景勝のもとに赴いた。1587年、真田昌幸の意向を受け羽柴秀吉のもとに人質として大坂城に赴いた。1600年、「第二次上田城の戦い」で父真田昌幸とともに松平秀忠勢と戦い撃退する戦功を挙げた。真田昌幸とともに紀伊九度山に赴いた。1614年、「大坂冬の陣」で羽柴秀頼に従い大坂城の西側に真田丸を築き、松平元康勢の前田利常、井伊直孝らを誘い込み撃破する戦功を挙げた。1615年、「大坂夏の陣」で後藤基次、毛利勝永、明石全登とともに羽柴秀頼に従い松平元康勢と戦い討死した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

真田信勝【さなだのぶかつ(15??~1609)】

真田昌幸の三男。官途は左馬助。室は牧野康成の娘。馬廻衆。松平元康に仕えた。1609年、戸田勝興と忍傷沙汰を起こして逐電した。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

真田昌親【さなだまさちか(1583~1632)】

真田昌幸の四男。通称内匠。別名真田信親。1600年、「第二次上田城の戦い」で兄の真田信之とともに松平秀忠に従い真田昌幸勢と戦い敗退した。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

真田信吉【さなだのぶよし(1597~1634)】

真田信之の男。官途は河内守。通称孫六郎。室は酒井忠世の娘。1614年、「大坂冬の陣」で弟の真田信政とともに父の真田信之の陣代を務め、松平元康に従い羽柴秀頼勢と戦い敗退した。1622年、真田信之の意向を受け上野沼田城(30,000石)を領した。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

真田信政【さなだのぶまさ(1597~1658)】

真田信之の次男。官途は内記。室は稲垣重綱の娘。人質として松平元康のもとに赴いた。1603年、信濃松代城(10,000石)を領した。1614年、「大坂冬の陣」で父の真田信之の陣代を務め、兄の真田信吉とともに松平元康に従い羽柴秀頼勢と戦い敗退した。1638年、甥の真田熊之助が病没したため、沼田城主を務めた。1656年、父の真田信之が隠居したため、真田家の家督を相続した。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

真田信重【さなだのぶしげ(1599~1648)】

真田信之の三男。官途は隼人正。室は鳥居忠政の娘。1622年、父の真田信之とともに信濃松代城(10,000石)に転封した。1638年、真田熊千代が病没したため、次兄の真田信政が上田沼田城(30,000石)を相続した。松代城(10,000石)を領した。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

真田信興【さなだのぶおき(15??~15??)】

真田信綱の男。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

真田信光【さなだのぶみつ(15??~15??)】

真田信綱の次男。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

真田信正【さなだのぶまさ(1571~1632)】

真田昌輝の男。別名真田幸明。1582年、「武田家征伐」で武田勝頼が滅亡したため、松平忠輝、松平忠昌、本多忠国に仕えた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

真田幸昌【さなだゆきまさ(1602~1615)】

真田信繁の男。通称大助。1614年、「大坂冬の陣」で父の真田信繁とともに羽柴秀頼に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。1615年、「大坂夏の陣」で真田信繁の意向を受け、羽柴秀頼を護衛役を務めた。羽柴秀頼に殉じて自刃した。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

真田守信【さなだもりのぶ(1612~1670)】

真田信繁の次男。通称四郎兵衛。別名片倉守信。1615年、「大坂夏の陣」で父の真田信繁と兄の真田幸昌が羽柴秀頼に従い松平元康勢と戦い討死したため、西村孫之進と我妻佐渡守に守られ片倉重長のもとに落延びた。伊達忠宗に仕えた。江戸御番組馬上役(1,000石)を務めた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

真田幸信【さなだゆきのぶ(1615~1667)】

真田信繁の三男。別名三好幸信。1615年、「大坂夏の陣」で父の真田信繁が松平元康勢と戦い討死したため、岩城宣隆に仕えた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。
 
真田之親【さなだゆきちか(16??~16??)】

真田信繁の四男。通称権左衛門。別名石田之親。1615年、「大坂夏の陣」で父の真田信繁が松平元康勢と戦い討死したため、細川国弘に養育された。娘は細川国弘の孫の細川義国に嫁いだ。婿養子として細川家の家督を相続した。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

真田宥清【さなだゆうせい(16??~16??)】

真田信繁の五男。通称源次郎。羽黒山に落延びた。伯父の真田清鏡の家督を相続した。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

真田信尹【さなだのぶただ(1547~1632)】

真田幸隆の四男(加津野昌世の養子)。官途は隠岐守。通称市右衛門。別名加津野昌春。室は馬場信春の娘(馬場殿)。真田幸隆の意向を受け真田昌幸とともに人質として武田晴信のもとに赴いた。加津野家の家督を相続した。1569年、「駿河深沢城の戦い」で武田晴信に従い北条氏政の家臣北条綱成勢と戦い戦功を挙げた。1582年、「武田家討伐」で武田勝頼が織田信長勢と戦い滅亡したため、北条氏直に仕えた。1584年、松平元康に仕えた。1600年、「関ヶ原の役」で松平元康に従い石田三成勢と戦い戦功を挙げた。1614年、「大坂冬の陣」で松平元康に従い羽柴秀頼勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『戦国人名事典』by新人物往来社。

真田幸政【さなだゆきまさ(15??~1653)】

真田信尹の男。通称長兵衛。室は真田昌幸の娘(次女)。1584年、父の真田信尹とともに松平元康に仕えた。1632年、真田信尹が病没したため、真田家の家督を相続した。池田光仲の目付役を務めた。1652年、鉄炮頭を務めた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

真田信勝【さなだのぶかつ(15??~16??)】

真田信尹の次男。1632年、父の真田信尹が病没したため、兄の真田幸政から分地(1,000石)された。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

真田幸信【さなだゆきのぶ(15??~1656)】

真田幸政の男。通称左兵衛。室は保々貞広の娘。1633年、小姓組の番士を務めた。1653年、父の真田幸政が病没したため、真田家の家督を相続した。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

真田幸吉【さなだゆきよし(15??~16??)】

真田幸政の次男。1653年、父真田幸政が病没したため、兄真田幸信から分地(500石)された。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

真田清鏡【さなだきよあき(1541~1599)】

真田幸隆の六男。官途は式部大輔。羽黒山の修験者。1590年、「九戸実政の乱」で南部利直に従い九戸実政勢と戦い戦功を挙げた。南部利直と諍いを起こし自刃した。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

真田勘解由【さなだかげゆ(15??~15??)】

真田信繁家臣。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。
 
真田権太夫【さなだごんだいふ(15??~15??)】

真田信繁家臣。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

塩入弥兵衛【しおいりよへい(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、真田昌幸から所領を安堵された。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

塩入甚三【しおいりじんぞう(15??~15??)】

矢沢頼綱家臣。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

塩田信兵衛【しおだにんべい(15??~15??)】

真田幸隆家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

塩野井善八【しおのいぜんぱち(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

塩野井又市郎【しおのいまたいちろう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

塩原源太左衛門【しおばらげんざえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。1581年、上野諏訪の木館を守備した。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。
  
志賀清吉【しがきよよし(15??~15??)】

真田昌幸家臣。通称又兵衛。別名志賀清義。馬廻衆。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

芝生田石見守【しばたいわみのかみ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

清水三郎兵衛【しみずさぶろうびょうえ(15??~15??)】

真田幸隆家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

下沼田道虎【しもぬまたみちとら(1530~1590)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

下沼田泰則【しもぬまたやすのり(1550~1620)】

真田昌幸家臣。官途は豊前守。沼田七人衆。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

十塚久助【じゅうつかひさすけ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

白河十左衛門【しろかわじゅうろうざえもん(15??~15??)】

矢沢頼綱家臣。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

白倉武兵衛【しろくらたけべい(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

神保佐左衛門【じんぼさざえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

杉角兵衛【すぎかくべい(15??~15??)】

真田昌幸家臣。参考文献:『真田軍記(むしろの指物)』by井上靖。
  
関口角左衛門【せきぐちすみざえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。代官職を務めた。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

関口忠右衛門【せきぐちちゅうえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

瀬下若狭守【せもわかさのかみ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

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【た】

高石孫助【たかいしまごすけ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

高槻備中守【たかつきびっちゅのかみ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1586年、真田昌幸の意向を受け願行寺の住職を招聘した。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

高梨内記【たかなしないき(1550~1615)】

真田昌幸家臣。官途は主膳。別名高階主膳。娘は真田信繁の側室(きり)。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。1611年、真田昌幸が病没したため、真田信繁に仕えた。1615年、「大坂夏の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い討死した。2016年、NHK大河ドラマ「真田丸」では中原丈雄が演じた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

高梨采女【たかなしうねめ(15??~1615)】

高梨内記の男。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、父の高梨内記とともに真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。1611年、真田昌幸が病没したため、真田信繁に仕えた。1615年、「大坂夏の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

高梨兵庫助【たかなしひょうごうのすけ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

高野但馬守【たかのたじまのかみ(15??~15??)】 

真田昌幸家臣。通称九太郎。馬廻衆。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。
      
高野九太夫【たかのくろうだいふ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。通称九太郎。馬廻衆。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

高野彦三郎【たかのひこさぶろう(15??~15??)】

真田信之家臣。1590年、真田信之から秋塚(23貫)の所領を安堵された。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

高橋右近【たかはしさこん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

高橋圭介【たかはしけいすけ(15??~15??)】
             
真田昌幸家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

高森藤兵衛【たかもりとうべい(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1582年、「中棚砦の戦い」で真田信之に従い長尾景勝の支援を受けた羽尾幸全勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『真田太平記』by池波正太郎。

滝川茂兵衛【たきがわもへい(15??~16??)】

真田信之家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田信之の意向を受け沼田城留守居役を務めた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

滝川平太夫【たきがわへいだいふ(15??~16??)】

真田信繁家臣。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

拓殖内蔵之介【たくしょくくらのすけ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

田口文左衛門【たぐちぶんざえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

田口久左衛門【たぐちきゅうざえもん(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。1611年、真田昌幸が病没したため、真田信之に仕えた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

武石民部亮【たけいしみんぶのじょう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

竹鼻六右衛門【たけはなろくうえもん(15??~15??)】

矢沢頼綱家臣。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

田所庄右衛門【たどころじょうえもん(15??~16??)】

真田信繁家臣。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

種子島丹後守【たねがしまたんごのかみ(15??~16??)】

真田昌幸家臣。通称丹三郎。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平秀忠勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。
 
田村左次右衛門【たむらさじうえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

田村平介【たむらへいすけ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。通称角内。猿ヶ京在城衆。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

塚本舎人助【つかもととねりすけ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。官途は肥前守。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。1586年、岩村田(50貫)を領した。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

津久井刑部左衛門【つくいぎょうぶざえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

壺谷又五郎【つぼやまたごろう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。伊那忍衆の目頭。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸が武田勝頼から借り受けた忍衆。1600年、「関ヶ原の戦い」で松平元康の頸を狙い忍衆を率い松平元康の本陣に突入したが、甲賀忍びの山中長俊に看破され相討ちとなった。参考文献:『真田太平記』by池波正太郎。

土居右近【どいうこん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

東坂式部【とうばんしきぶ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

常田綱旨【ときたつねむね(1483~1568)】

海野棟綱家臣。通称右衛門。1541年、「海野平の戦い」で海野棟綱に従い武田信虎、村上義清、諏訪頼重勢と戦い山内上杉憲政のもとに落延びた。真田幸隆に仕えた。 参考文献:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」。

常田隆家【ときだたかいえ(1520~1572)】

真田頼昌の四男(常田綱旨の養子)。官途は伊予守。通称七左衛門。別名海野隆永。1563年、「長野原館の戦い」で斎藤憲広勢と戦い敗退した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

常田俊綱【ときだとしつな(1540~1563)】

常田隆家の男。官途は山城守。通称新六郎。別名海野永則。1563年、「長野原館の戦い」で父の常田隆家とともに斎藤憲広勢と戦い討死した。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

常田綱富【ときだつなとよ(1547~1620)】

常田隆家の次男。通称七郎右衛門。1563年、「長野原館の戦い」で兄の常田俊綱が父の常田隆家とともに斎藤憲広勢と戦い討死したため、常田家の家督を相続した。1582年、「武田家討伐」で武田勝頼が織田信長勢と戦い滅亡したため、真田昌幸に仕えた。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

常田棟吉【ときだぬねよし(15??~15??)】

常田隆家の三男。通称与三右衛門尉。別名下屋棟吉。参考文献:「城郭放浪記」byPEI.。

常田永則【ときだながのり(15??~1575)】

河原隆正の三男(常田俊綱の養子)。通称図書助。1575年、「三河長篠の戦い」で兄の河原正良とともに真田信綱に従い織田信長勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

常田永之【ときだながゆき(15??~1615)】

常田永則の男。通称作右衛門。1615年、「大坂夏の陣」で真田信吉、真田信政に従い羽柴秀頼勢と戦い討死した。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

徳島藤馬【とくしまとうま(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

徳蔵院【とくくらいん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。馬廻衆。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

徳島藤馬【とくしまとうま(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。  

利光久兵衛【としみつひさへえい(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

戸田左馬允【とだうまのじょう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

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【な】

中勝之助【なかかつのすけ(15??~15??)】

真田信繁家臣。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

中沢越後守【なかざわえちごのかみ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。通称半右衛門。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

長沼又右衛門尉【ながぬままたうえもんのじょう(15??~15??)】

矢沢頼綱家臣。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

長野舎人【ながのとねり(15??~15??)】

真田昌幸家臣。馬廻衆。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

中村式部【なかむらしきぶ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

半井源之丞【なからいげんのじょう(15??~15??)】

矢沢頼綱家臣。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

夏目兵庫守【なつめひょうごのかみ(15??~15??)】

真田幸隆家臣。参考文献:『謀将 真田昌幸』by南原幹雄。

生島紋太夫【なましまもんだいふ(15??~15??)】

真田幸隆家臣。寺社奉行衆。真田郷の白山神社、菩提所である長谷寺や信綱寺などに安堵状を発行した。真田幸隆の領国の拡大とともに所領化した地域でも安堵と諸役免除などの保護を与えた。

成沢勘左衛門【なるさわじんざえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

南条弥左衛門【なんじょうよざえもん(15??~15??)】

矢沢頼綱家臣。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

新木肥前守【にいきひごのかみ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1586年、真田昌幸の意向を受け、願行寺移転後の住職招聘を行った。

西丸市之丞【にしのまるいちのじょう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

二宮勘解由【にのみやかげゆ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

丹生弥二郎【にゅうよじろう(15??~16??)】

真田信繁家臣。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

布下弥四郎【ぬのしたよしろう(15??~15??)】

真田幸隆家臣。1553年、「苅屋原館の戦い」で真田幸隆に従い太田資忠の家臣中根宇右衛門勢と戦い中根宇右衛門を討取る戦功を挙げた。1582年、「沼田城の戦い」で荒川内匠とともに北条氏邦勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。 

沼田小新【ぬまたこしん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

沼田久助【ぬまたひさすけ(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

沼田清次郎【ぬまたせいじろう(15??~16??)】

真田信繁家臣。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

禰津小六【ねづころく(15??~16??)】

真田信繁家臣。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

禰津志摩守【ねづしまのかみ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

野口二郎左衛門【のぐちじろうざえもん(1553~1612)】

真田幸隆家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

野呂兵庫【のろひょうご(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1583年、「賤ヶ岳の戦い」で羽柴秀吉に属した真田信之に従い柴田勝家勢と戦い戦功を挙げた。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

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【は】

箱山国正【はこやまくにまさ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

馬場惣市【ばばそういち(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

馬場主水【ばばもんど(15??~16??)】

真田信之家臣。山中の隠れ忍衆。1614年、事故で負傷した。領民の娘を辱めようとして於江の捕縛された領民に突き出された。罪を受けで牢に入れられが脱走を図り、「真田信之は反逆の意志があり真田信繁と内通していた」と幕府に訴え出た。評定場で木村綱茂と対決するが論破された。真田昌之の家臣小川好安に討取られた。参考文献:『真田太平記』by池波正太郎。

早川平左衛門【はやかわへいざえもん(15??~1615)】

真田昌幸家臣。1615年、「大坂夏の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い討死した。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

林太郎左衛門【はやしたろうざえもん(1543~1582)】

真田幸隆家臣。足軽頭。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

林寛高【はやしひろたか(1563~1615)】

林太郎左衛門の男。官途は弾左衛門。通称源次郎。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

林勘左衛門尉【はやしかんざえもんのじょう(1548~1605)】

矢沢頼綱家臣。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

原沢大蔵【はらさわおおくら(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

原田清種【はらだきよたね(1489~1547)】

真田幸隆家臣。通称十郎左衛門。1547年、「第一次上田原の戦い」で真田幸隆に従い村上義清勢と戦い討死した。参考文献:『角川日本姓氏歴史人物大辞典「群馬編」』byKADOKAWA。

原田氏清【はらだうじきよ(15??~15??)】

原田清種の男。通称雄左衛門。参考文献:「真田家の歴史」byKADOKAWA。

原出羽守【はらでわのかみ(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

原三右衛門【はらさんうえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

原監物【はらけんもつ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

原右近【はらうこん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

春田伝助【はるたでんすけ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。
              
春田専之助【はるたせんのすけ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

日置五右衛門【ひおきごうえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

樋口角兵衛【ひぐちかくべい(15??~16??)】

樋口鑑久の男。母は久野(真田昌幸の室山手殿の妹)。甲斐国府中で向かってくる暴れ馬を押さえつけた。武勇すぐれ、怪力無双の巨漢。1582年、「武田家討伐」で父の樋口鑑久が武田勝頼に従い織田信長勢と戦い討死したため、久野とともに真田昌幸のもとで暮らした。参考文献:『真田太平記』by池波正太郎。

久屋藤五郎【ひさやとうごろう(15??~15??)】

矢沢頼綱家臣。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生

久屋左馬允【ひさやさまのじょう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

久屋三河守【ひさやみかわのかみ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

平賀右衛門【ひらがうえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。馬廻衆。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

平野八郎右衛門尉【ひらのはちろううえもん(15??~16??)】

真田信繁家臣。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

広田岡右衛門【ひろたおかうざえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 
               
広田大夫【ひろただいふ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

深井棟広【ふかいよりひろ(15??~15??)】

真田幸隆家臣。参考文献:『謀将 真田昌幸』by南原幹雄。

深井三弥【ふかいさんよ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。馬廻衆。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

深江庄兵衛【ふかえしょうざえもん(15??~16??)】

真田信之家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で滝川茂兵衛とともに真田信之の意向を受け沼田城留守居役を務めた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

深津二郎兵衛【ふかつじろうべい(15??~15??)】

真田昌幸家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

福島肥後守【ふくしまひごのかみ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 
           
福岡平三郎【ふくおかへいざぶろう(15??~1615)】

真田昌幸家臣。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。1615年、「大坂夏の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い討死した。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

福田美作守【ふくだみさくのかみ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 
            
藤井喜右衛門【ふじいきちえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 
                
藤井甚左衛門【ふじいじんざえもん(15??~15??)】

真田信之家臣。1590年、真田信之から沼須(54石)の所領を安堵された。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

伏屋太平【ふせやたへい(15??~15??)】

真田昌幸家臣。忍衆。1599年、備前島の中洲で情報収集に務めた。島清興、大谷吉継に書状を届けた。1600年、「関ヶ原の役」で奥村弥五兵衛に従い松平元康勢と戦い敗退した。参考文献:『真田太平記』by池波正太郎。

別木勝蔵【べつぎかつぞう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

別所八郎太【べっしょたろうた(15??~15??)】

真田幸隆家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 
            
別府若狭守【べっしょわかさのかみ(15??~15??)】

真田昌幸の家臣。1582年、「天正壬午の乱」で加沢与七郎とともに室賀正武勢を内応させる功を上げた。1583年、「賤ヶ岳の戦い」で羽柴秀吉に属した真田昌幸勢の加勢として参陣した。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

別府虎之助【べっしょとらのすけ(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

穂入登之助【ほいりとのすけ(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

穂入愛之助【ほいりあいのすけ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

星田勘平【ほしだかんぺい(15??~15??)】

真田信繁家臣。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

堀田興重【ほったおきしげ(15??~1615)】

真田昌幸家臣。堀田作兵衛の男。通称五兵衛。1584年、娘が真田信繁に嫁いだ。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。1615年、「大坂夏の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い討死した。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

堀田作兵衛【ほったさくべい(1560~1615)】

堀田五兵衛の男。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。
 
堀田源内【ほったげんない(15??~15??)】

堀田興重の次男。通称又兵衛。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

堀田角兵衛【ほったかくべい(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

発智三河守【ほっちみかわのかみ(15??~15??)】

矢沢頼綱家臣。沼田七人衆。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

本郷左近【ほんごうさこん(15??~1615)】

真田昌幸家臣。1615年、「大坂夏の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い討死した。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

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【ま】

前島作左衛門【まえじまさくざえもん(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

間嶋杢【ましまもく(15??~15??)】

真田昌幸家臣。参考文献:『真田軍記(むしろの指物)』by井上靖。

増尾新蔵【ますおしんぞう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1553年、「苅屋原館の戦い」で真田幸隆に従い太田資忠の家臣中根宇右衛門勢と戦い中根宇右衛門を討取る戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

増田九郎【ますだくろう(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1583年、「賤ヶ岳の戦い」で真田昌幸の援軍として羽柴秀吉勢に参陣した。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

増田荒次郎【ますだあらじろう(15??~16??)】

増田九郎の弟。1583年、「賤ヶ岳の戦い」で兄の増田九郎とともに真田昌幸の意向を受け羽柴秀吉に従い柴田勝家勢と戦い戦功を挙げた。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

増田虎之助【ますだとらのすけ(15??~16??)】

増田九郎の男。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。 

益田六太夫【ますだろくだいふ(15??~15??)】

真田幸昌家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

町田外記【まちだげき(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1582年、真田昌幸から所領(福島100貫)の安堵を受けた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。  
 
松井弥四郎【まついよしろう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

松浦七郎【まつうらしちろう(15??~15??)】

真田信繁家臣。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

松尾豊前守【まつおぶぜんのかみ(15??~15??)】

真田幸隆家臣。通称権之助。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

松崎藤兵衛【まつざきとうべい(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

松崎五右衛門【まつざきごうえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

松沢彦次郎【まつざわひこじろう(15??~15??)】

矢沢頼綱家臣。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

松沢平之丞【まつざわへいのじょう(15??~15??)】

矢沢頼綱家臣。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。 

間鍋日向守【まなべ ひゅうがのかみ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。    

馬淵六郎太夫【まぶちろくろうだいふ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。足軽大将。 参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

丸子三左衛門【まりこさんざえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。小県郡丸子館主。通称三右衛門。別名海野三左衛門尉。室は馬場信春の娘。1585年、「丸子館の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣諏訪頼忠勢と戦い撃退する戦功を挙げた。真田信之に仕えた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

丸子平内【まりこへいない(15??~15??)】

丸子三左衛門の弟。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

丸子喜兵衛【まりこきちべい(15??~15??)】

丸子三左衛門の男。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

水科新助【みずしなしんすけ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

三井景国【みついかげくに(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。1611年、真田昌幸が病没したため、真田信繁に仕えた。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。1615年、「道明寺の戦い」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い負傷した。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

三井仁左衛門【みついじんざえもん(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

三井豊前守【みついぶぜん(15??~1615)】
 
真田昌幸家臣。1615年、「大坂夏の陣」で高梨内記、青木半左衛門とともに真田信繁の影武者を務め、松平元康勢と戦い討死した。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

三橋甚太郎【みはしじんたろう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。馬廻衆。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

宮沢七郎兵衛【みやざわしちろうびょうえ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。
                
宮下喜内【みやしたぜんない(15??~15??)】

真田昌幸家臣。旗奉行職。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

宮下孫兵衛【みやしたまごべい(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1582年、真田昌幸から所領(後藤35貫)を安堵された。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

宮下藤左衛門【みやしたとうざえもん(15??~15??)】

宮下孫兵衛の男。別名宮下藤右衛門。足軽組頭。真田信之の家老職を務めた。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

宮下太兵衛【みやしたへい(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、真田昌幸から所領(松本7貫)を安堵された。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

宮塚才蔵【みやのつかさいぞう(1560~15??)】

真田昌幸家臣。於くにの兄。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康勢と戦い戦傷を負った。角間の谷の草屋敷で薬草の栽培や火薬の製造を担当した。参考文献:『真田太平記』by池波正太郎。

三好清海【みよしせいかい(1569~1615)】

真田昌幸家臣。別名深谷新左衛門。真田十勇士。巨漢の破戒僧。猿飛佐助、霧隠才蔵とともに活躍した。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。 

三好伊三【みよしいさ(1570~1615)】

真田昌幸家臣。三好清海の弟。通称総兵衛。別名深谷総兵衛。真田十勇士。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。1615年、「大坂夏の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い討死した。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

三輪琴之助【みわことのすけ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。  

向井佐平次【むかいさへいじ(15??~1615)】

壺谷又五郎の男(向井の養子)。室は赤井喜六の娘。1582年、「高遠城の戦い」で壺谷又五郎の意向を受けた於江に助け出され、真田信繁に仕えた。立身も望まず、真田信繁の初陣から討死まで従者として生涯を過ごした。1600年、真田信之に仕えた。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。1615年、「大坂夏の陣」で真田信繁に従い松平忠直勢と戦い安居天神で息絶えた。参考文献:『真田太平記』by池波正太郎。

向井佐助【むかいさすけ(15??~1615)】

向井佐平次の男。忍衆。真田昌幸から来国次の銘刀を賜った。1600年、於江の意向を受け壺谷又五郎の最後を真田昌幸に伝えた。紀州九度山に赴いた真田昌幸に京、大坂、江戸の情報を伝えた。1615年、「大坂夏の陣」で真田信繁に後藤基次への密書を託されるが、山中忍衆の迫小四郎の追撃を受け密書を届けることが出来なかった。真田信繁に従い松平元康勢と戦い重症を負い百姓の徳之助に遺言を残し息絶えた。参考文献:『真田太平記』by池波正太郎。

目方兵馬【めかたへいま(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

望月幸忠【もちづきゆきただ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。通称六郎。別名望月卯左衛門。真田十勇士。1583年、「賤ヶ岳の戦い」で真田昌幸の意向を受け羽柴秀吉に従い柴田勝家勢と戦い戦功を挙げた。海野利一とともに謀報活動を務めた。1585年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。真田信繁に従い人質として長尾景勝のもとに赴いた。1590年、「小田原城の戦い」で真田信繁に従い北条氏直勢と戦い戦功を挙げた。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。真田信繁に従い紀州九度山に赴いた。1615年、「大坂夏の陣」で真田信繁の影武者を務め、松平元康勢と戦い討死した。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

望月善太夫【もちづきぜんだいふ(15??~16??)】

真田信繁家臣。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

望月玄蕃【もちづきげんば(15??~15??)】

真田幸隆家臣。通称三郎兵衛。海野利一が捕縛した山本晴幸を護送した。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

望月太郎左衛門【もちづきたろうざえもん(15??~15??)】

真田信繁家臣。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

望月主水【もちづきもんど(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

森川隼人【もりかわはやと(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

森下又左衛門【もりしたまたざえもん(15??~15??)】

矢沢頼綱家臣。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

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【や】

矢沢頼綱【やざわよりつな(1518~1597)】

真田頼昌の三男。官途は薩摩守。通称源之助。別名真田頼綱。室は根井清雲の娘。京都鞍馬寺の僧。1541年、「海野平の戦い」で海野棟綱が武田信虎、村上義清、諏訪頼重勢と戦い敗退したため、武田信虎に仕えた。1551年、「荒砥館の戦い」で兄の真田幸隆とともに村上義清の家臣山田国政、吾妻清綱勢と戦い戦功を挙げた。1563年、「上野岩櫃館の戦い」で甥の真田信綱に従い斎藤憲広、斎藤憲宗勢と戦い戦功を挙げた。1575年、「三河長篠の戦い」で真田信綱が武田勝頼に従い織田信長勢と戦い討死したため、甥の真田昌幸に仕えた。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。上野沼田城代職を務めた。1582年、「武田家討伐」で武田勝頼が織田信長勢と戦い討死したため、真田昌幸に従い上野沼田城を守備した。1585年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:『真田太平記』by池波正太郎。

矢沢頼康【やざわよりやす(1553~1620)】

矢沢頼綱の男。官途は但馬守。通称三十郎。1585年、真田信繁とともに人質として長尾景勝のもとに赴いた。1585年、「第一次上田城の戦い」で長尾景勝の支援を受けた真田昌幸に従い矢沢館で松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田信之とともに松平秀忠に従い敗退した。1614年、「大坂冬の陣」で真田信吉、真田信政に従い羽柴秀頼勢と戦い敗退した。参考文献:『真田太平記』by池波正太郎。

矢沢頼邦【やざわよりくに(1557~1612)】

矢沢頼綱の次男。別名山田与惣兵衛。1575年、「三河長篠の戦い」で真田信綱に従い織田信長勢と戦い敗退した。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。1590年、「小田原城の戦い」で真田昌幸の意向を受け上野岩櫃館留守役を務めた。1620年、兄の矢沢頼康が病没したため、矢沢家の家督を相続した。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

矢沢頼貞【やざわよりさだ(15??~16??)】

矢沢頼邦の男。通称八左衛門。家老衆(200石)を務めた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

矢島主殿助【やじましゅでんのすけ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1586年、岩村田(100貫)を領した。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

柳沢与兵衛【やなぎさわよへい(15??~16??)】
          
真田昌幸家臣。1605年、真田信之の意向を受け原街の普請奉行職を務めた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

梁田新八【やなだしんぱち(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平秀忠勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

矢野孫右衛門【やのまごえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

矢野半左衛門尉【やのはんざえもん(15??~15??)】

真田昌幸家臣。馬廻衆。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

山岡軍平【やまおかぐんぺい(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1614年、「大坂冬の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

山口式部【やまぐちしきぶ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

山口掃部助【やまぐちかもんのすけ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1582年、玉泉寺(2貫)を領した。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

山越左内【やまごしさない(15??~15??)】

真田昌幸家臣。小荷駄奉行職。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

山本角左衛門【やまもとかくざえもん(15??~1615)】

真田信繁家臣。1615年、「大坂夏の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い討死した。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

由利基幸【ゆりもとゆき(1573~1615)】

真田信繁家臣。通称鎌之助。別名由利春房。真田十勇士。鎖鎌の名手。真田昌幸の謀殺を図ったが真田信繁に捕縛されそれに仕えた。真田信繁のもとで戦功を挙げた。1615年、「大坂夏の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い討死した。参考文献:『真田三代記』by柳水亭種清。

横尾孫右衛門尉【よこおまござえもんのじょう(15??~16??)】

真田昌幸家臣。在所で内室を殺害したとして詮議を受けたため、紀州九度山の真田昌幸のもとに落延びた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

横谷惣左衛門【よこたにそうざえもん(15??~15??)】

真田幸隆家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

横谷幸重【よこやゆきしげ(15??~16??)】

横谷惣左衛門の男。通称左近。出浦盛清とともに吾妻忍び衆の棟梁を務め、雁ヶ沢館を守備した。1580年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田信之に従い真田昌幸勢と戦い敗退した。1614年、「大坂冬の陣」に真田信吉、真田信政に従い羽柴秀頼勢と戦い敗退した。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

横谷幸秀【よこやゆきひで(15??~15??)】

横谷惣左衛門の次男。通称惣左衛門。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

横谷重氏【よこやしげうじ(15??~1615)】

横谷惣左衛門の三男。通称庄八郎。別名横谷幸氏。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い戦功を挙げた。1615年、「大坂夏の陣」で真田信繁に従い松平元康勢と戦い討死した。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

横谷掃部介【よこやかもんのすけ(15??~15??)】

横谷幸重家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

横沢与七【よこざわよしち(15??~15??)】

真田昌幸家臣。真田庄の草屋敷を束ねた。向井佐助を忍衆として育てた。「危難に遭遇したときは、まず、笑うてみよ」と向井佐助に教えた。忍衆として旅立つ向井佐助に無名の短刀を贈った。参考文献:『真田太平記』by池波正太郎。

吉池源兵衛【よしいけげんべい(15??~15??)】

矢沢頼綱家臣。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱の意向を受け矢沢館を守備した。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

吉田惣助【よしだそうすけ(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

依田助十郎【よりだすけじゅうろう(15??~15??)】

真田昌幸家臣。1585年、「第一次上田城の戦い」で真田昌幸に従い松平元康の家臣鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉勢と戦い撃退する戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。

依田兵部【よりだひょうぶ(15??~16??)】

真田昌幸家臣。1600年、「第二次上田城の戦い」で真田昌幸が松平元康勢と戦い改易処分に処されたため、真田昌幸に従い紀州九度山に赴いた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

渡辺綱秀【わたなべつなひで(15??~15??)】

真田昌幸家臣。官途は左近允。1580年、「上野沼田城の戦い」で真田昌幸に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。 

和田勝之助【わだかつのすけ(15??~15??)】

真田幸隆家臣。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

和田将盛【わだまさもり(15??~15??)】
   
真田昌幸家臣。通称兵衛尉。参考文献:「真田家の歴史」by柳生聡。

和田主殿助【わだしゅでんのすけ(15??~15??)】

矢沢頼綱家臣。官途は主水。沼田七人衆。1585年、「上野沼田城の戦い」で矢沢頼綱に従い北条氏直の家臣北条氏邦、猪俣邦憲、金子泰清勢と戦い戦功を挙げた。参考文献:フリー百科事典by「ウィキペディア(Wikipedia)」。
      
渡常陸守【わたりひたちのかみ(15??~15??)】

真田信之家臣。1608年、真田信之の意向を受け上野国大柏木百姓衆の帰還を促した。参考文献:『長野県立歴史館/信濃史料』by信濃史料。

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【資料Ⅰ】

小県郡:上田城、砥石城、真田館、矢沢館、浦野館、禰津館、長窪館、滋野館。
吾妻郡:岩櫃城、草津館、中之条館、原館、長野原館、沢渡館、三原館。
利根郡: 沼田城、名胡桃館、水上館、片品館、小川館、長井坂館、石倉館。

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【資料Ⅱ】

真田十勇士【さなだじゅうゆうし】

猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海、三好伊左、穴山小助、由利鎌之助、筧十蔵、海野六郎、根津甚八、望月六郎。

沼田七人衆【ぬまたしちにんしゅう】

和田主殿助、恩田伊賀守、下沼田泰則、久屋藤五郎、発知三河守、岡野屋加賀守、金子美濃守。

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戦国人名辞典は、1467年、「応仁の乱」から1637年、「島原の乱」までの期間に活躍した武将をサイト管理人(takatoshi24)の独断と偏見に基づいて編集した国別の戦国武将名辞典です。基本的に五十音順に並んでいますが、親子は年代順、本家と分家がある場合、分家をしたにして居住地域をを苗字の頭に入れています。資料Ⅰは国、郡別の石高、城郭、寺院、街、湊などを記載。資料Ⅱは国で有名な集団(三好三人衆など)についての説明をしています。資料Ⅲは国の詳細(各国の特性、景勝の地、特産品など)を説明しています。また、武将の名前が変わる場合(松平元康→徳川家康)など、松平元康で統一しています。

印は出展図書からを示しています。歴史小説も含まれるため100%史実上の人物とは限りません。小説からの出展は注釈を入れます。

あくまで個人的な趣味のサイトなので、誤字脱字、多少のミス等は許してください。

名が不明場合は書籍等で採用されている便宜上の名を使用します。

武田信玄は武田晴信、上杉謙信は長尾景虎、徳川家康は松平元康、木下藤吉郎は羽柴秀吉、豊臣秀頼は羽柴秀頼、津軽為信は大浦為信に名前を統一しました。

城と館の違いは、城は10,000石以上の領主の居城。館、砦は9,999石以下の領主の居城としました。館と砦の違いは平地にある場合は館、山岳地帯、諸島にある場合は砦としてました。

参考文献:『戦国人名事典』by吉川弘文館、『戦国人名事典』by新人物往来社、『戦国大名家辞典』by東京堂出版、『戦国大名家臣団辞典(東国編)』by新人物往来社、『戦国大名系譜人名辞典(東国編)』by新人物往来社、『信長の野望【革新】マニアックス』by株式会社コーエー、『戦国国取りガイド』by新紀元社、「戦国人名辞典」新人物往来社、『戦国大名家臣団総覧(歴史と旅臨時増刊)』by秋田書店、『クロニック戦国全史』by講談社、『天下統一Ⅲ(完全攻略ガイド)」角川書店、『戦国時代人物総覧(別冊歴史読本)』by新人物往来社、『歴史読本(戦国大名家370出自総覧)』by新人物往来社、『戦国大名マニュアル』by新紀元社、『戦国大名家総覧(歴史と旅臨時増刊)』by秋田書店、『戦国武将ガイド』by新紀元社、武田信玄(全4巻)』by文春文庫、『武田信玄(全3巻)』by講談社、『武田勝頼(全3巻)』by講談社、「甲州武田家臣団」新人物往来社、『信濃須田一族』総合出版社歴研、『真田戦記』by学習研究社、『真田太平記(全13巻)』by新潮文庫。フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」、「美須麻流之珠」by立花利康、「さくらとおしろ」bysakushiro。

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